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輪廻転生

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『第三のチンパンジー』など旺盛な著作で知られるジャレド・ダイアモンドが、

「人口減少は日本復活のチャンスだ」

と述べている(『週刊文春』2020年1月2日・9日合併号)。

日本の主流の議論の正反対だから驚く読者が多いかも知れないが、筆者(宮崎正弘)はむしろ賛成で、以前から述べてきた考えに近い。

なぜなら日本はむしろ人口が多すぎるのである。

狭い国土に一億二千万人が暮らせば住居がウサギ小屋になるのも当然であり、生活空間に余裕がなくなる。

ダイアモンドは、第一に人口八千万人が適当としてドイツと同数になり、輸入する資源が減って資源小国という強迫観念が希釈になること、第二に女性の雇用のチャンスが拡がり、第三に雇用高齢化が定着する。第四に外国人労働者をそれほど受け入れないという選択肢が日本にもたらされる。

ゆえに日本にとって人口減少は逆にチャンスだとする。

とはいうものの、近未来の日本社会は「 超高齢社会」から「多死社会」に移行する。

すでに出生者より死者が上回り、人口動態は少子高齢化と同時に大量の死がやってくる時代となる。

団塊の世代が終活期に突入したからだ。

現在進行形の少子高齢化社会で、介護保険が確立された上、介護士が大量に養成された。

そのうえで、「終末ケア」の必要が説かれている。

各地にケアセンターが次々と生まれ、雑誌は相続の特集を出したりしている。

驚くなかれ伝統的な大家族制が消滅し、介護が日本国家の「基幹産業」となった。

ものつくり、匠の日本が基幹産業を変貌させたのだ。

日本経済の絶頂期には考えも及ばなかった、退嬰的な社会に変貌した。

人は人生の満足度を抱きながら安らかに眠るのが理想である。

戦後の死生観は戦前までの伝統的なそれから転倒し、生きることだけが尊重される、不思議な価値観に蔽われている。

生命尊重だけでよいのか、と絶叫して三島由紀夫は自決した。

今後の日本では「看取り」が重視される社会となり、「看取り士」が増えるだろう。

人口動態から推測できることは2015年に毎年150万人、2040年には年間180万人が死ぬ一方で、出生数は2018年に86万人強と、少数核家族化、しかも高齢単身世帯が600万、このうち400万が女性の単身世帯となり、介護認定は2018年に644万人、これを180万人の介護士が支えている。

2025年には253万人の介護士が必要だが、38万人が不足することになるだろうとするシミュレーションが存在する(後述藤和彦論文)。

このような後ろ向きの社会が到来するにあたり、考えるべきは家族制度、冠婚葬祭の在り方、死生観の是正、日本の伝統的哲学の再構築ではないのか。

戦後の日本では、GHQの占領政策の影響が大きく、価値観の転倒がおこり、家族制度がGHQによって破壊された。

結婚の伝統も欧米的な、即物的な儀式に変質し、日本的良さは喪失された。

死生観の激変によって、死=無という考え方が拡がった。

仏教への帰依が希釈化したからだろうが、

「死は無」という誤解だらけのニヒリズム

が蔓延し、人生をいかに活きるかが説かれても、如何に死ぬかは無視されがちだった。

他方、安楽死をもとめてスイスへわたる日本人が静かに増えている

スイスでは安楽死が合法化されている。

「人生において何が本質的に重要なのか、いまの仕事が何かに貢献しているのか」という思考が見失われ、ある種達成感や人生の満足感をもって死を迎えるという人間が少なくなった。

無駄な人生だったとみる、人生に意義を認めない欧州人が増えた。

戦後の実存主義などが好例だが、AIはケアの代替にはなり得ず、看取りが必要なのである。

縄文時代の 遺跡の住居跡を調べると、入り口に甕が埋められている事例が多いという。

この甕は逆さにされ、 底には小さな穴が開けられており、乳幼児や死産児の遺体が納められていた。

死産児の遺骨を玄関の床下や女性用トイレの脇などに埋める風習がごく最近まで日本で見られていた。

「死んだ子供が少しでも早く生まれ変わってくることを願って、遺骸を女性が頻繁に跨ぐところに埋めた」(竹倉史人『輪廻転生』、講談社、2015年)

遺体を埋める前に墓の中に魔除けと「生まれ変わり」を促すとされるベンガラ(酸化鉄) という赤い粉をまいたりしていた(簗瀬均「魂のゆくえ」秋田魁新報社)

また初期の聖書には生まれ変わりの記述が多数存在していた。

こうした輪廻転生の思想が、現代に甦る。

この問題に正面から取り組んだ論文は「多死社会における産業振興のあり方に関する一試案」、藤和彦(経済産業研究所) である(RIETI  Policy Discussion Paper Series・ 2019 年 12 月)

その概要の重要箇所を下記に簡潔に掲げる。

「生まれ変わり」の観念の起源は古い。

インドでは少なくとも過去4000年にわたって宗教的、哲学的発達の最大の源泉の一つになってきた。

人類の精神史の中で輪廻や復活といった「生まれ変わり」の観念が繰り返し生じており、客観的な事実か単なる妄想なのかどうかは別にして、繰り返し出現してくるだけの心理的 な必然性があったことだけは間違いない。

2006年から2008年にかけてギャラップ社が143か国を対象として行った宗教 に関する国際調査では、日本は世界で8番目に宗教を重視しない国としてランクされてい るが、生まれ変わりを信じている日本人はなんと43%に達したのである。

内訳を見てみ ると、高齢者よりも若年層、男性よりも女性の方が「信じている」比率は高い。

生まれ変わりの主張はあらゆる時代を通じて世界のほぼ全域で発生している。

「生まれ変わり」の死生観は世界中の民俗文化において見られるが、前世の記憶を持って いると称する者の逸話がもとになって発生した可能性がある。

「生まれ変わり」を認めていた西洋古代思想  古代のエジプト人が「あの世とこの世との間に大きな隔たりはない」と考えていたよう に、太古から私たちは死と死後のことを意識してきた。

西洋哲学の出発点と言われるギリシャでは、「生まれ変わり」の観念はオルフェウス教(密儀宗教の一種)から始まったとされ、哲学においても魂や形而上的世界の実在が想定されていた。

古代ギリシャの数学者として知られるピタゴラスは前世の記憶を持ち、「不滅の霊魂」 「霊魂の輪廻転生」「修養による霊魂の浄化」を弟子たちに唱えていた。

 「魂の不死を信じて平然と死ぬことができる心の訓練が、哲学の使命である」

と弟子たち に教えていたソクラテスにとって、自らの死は永遠の生、人間の魂の永続性を象徴するも のであった。

ピタゴラスの世界観を継承したプラトンも、著書「パイドン」「国家」などの中で「死者の魂は一定期間を過ぎると生まれ変わる」と主張している。

古代ギリシャ思想においては、死によって霊魂と肉体は分離し、前者は不滅とされてい た。

例外はソクラテスと問答を行った当時のソフィスト(知恵ある者)たちだった。

彼らは現代人のような唯物論的な考え方を有していた( 樫尾直樹他「人間に魂はあるのか?」国書刊行会、2013年。以上引用止め)

輪廻転生と言えば、三島由紀夫の最後の四部作の主要テーマである

『春の雪』の松枝清顕は『奔馬』で飯沼勳となり、『暁の寺』ではジンジャンン姫に転生していた(らしい)。

最終巻の『天人五衰』の安永透は、輪廻転生とは無縁だったことが示唆されている。

嘗て筆者がローマ憂国忌での講演を依頼されたおり、イタリアの知識人達と懇談の機会があったが、三島『豊饒の海』への最大の関心は輪廻転生だった。

カソリックが強いイタリアのおいてすら、人生の模索の思想に、仏教的東洋的死生観が横たわるのである。

かくして多死社会となる日本で、精神的安らぎの希求や看取るというシステムが、嘗ての大家族制という伝統に近付くことができるか、どうかが今後の論議になるだろう。

「宮崎正弘の国際情勢解題」令和弐年正月元旦年頭随筆より

 


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男は弱いよ 金ピカ先生

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派手な格好で羽振りのいいイメージが強かった「金ピカ先生」が孤独死したというニュースは、日本中に衝撃を与えた。

それは、多くの人にとって彼の死に様が他人事に思えぬものだったからに他ならない。

話が嚙み合わない

「ハァ、ハァ、ハァ……早く死にたい」

8月下旬のまだ暑い日、本誌は生前の「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)を取材し、9月7日号の特集でその変わり果てた姿を伝えていた。

かつて築いた財産をすべて使い果たし、生活保護と、週に2回のデイケアサービスだけを頼りに生きていた佐藤さんの家は電気もガスも止められ、熱気がこもる寝室には、異臭が充満していた。

骨と皮だけのようになった身体にパンツ一枚の姿で、ガラス玉のような両目は、遠くを見つめたまま動かない。

口にするのは近所のコンビニで売られている格安のカップ焼酎と、タバコだけ。息も絶え絶えの様子で焼酎をあおり、ゴホゴホとむせる。

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「山城(新伍)、梅宮(辰夫)、(菅原)文太、あの頃の東映ヤクザ映画は楽しかったですね……」

頭がもうろうとしているのだろう。予備校講師時代の思い出を尋ねても、会話が嚙み合わない。

取材中、佐藤さんの口をつくのは「自分は生きる屍」「何にも関心がない」「早く死にたい」という、絶望に支配された人間の言葉ばかりだった。

そして、この取材からわずか1ヵ月足らずで、佐藤さんは誰にも看取られることなく、たった独りでこの世を去った―。

バブル期に一世を風靡し、最盛期には年間2億円とも言われる収入を得ていた佐藤さんは、なぜこれほどまでにも哀しく、孤独な最期を迎えなければならなかったのか。

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佐藤さんは、’90年代前半にはすでに講師を引退。その後は、知名度を活かしてタレントとして生活していたが、ブームはあっという間に過ぎ去り、収入は講師時代の100分の1以下に。

それでも、かつては毎日のように高級ホテルで食事をし、地方への移動も常にファーストクラスだった佐藤さんの放蕩ぶりは一向に収まらなかった。

「貯金はあっという間に減っていきましたが、決定打になったのは、なけなしのおカネを元手に出馬した’01年の参議院選挙でした。自民党から出馬したものの、落選してしまった」(佐藤さんの友人)

穴埋めのため、予備校講師時代に建てた「豪邸」も売り払った佐藤さんが、中野区内にある実家に妻と共に越してきたのは、いまから5年ほど前のことだった。

「もともと、あの家には佐藤さんの母親が住んでいました。お母さんはハデな人で、ヒラヒラのフリル傘を片手に真っ赤な帽子をかぶったりしていて、佐藤さんの独特のファッションセンスは母譲りだったと思います。

そんな母親が亡くなって間もなく、佐藤さんと奥様が引っ越してきた。あの頃はまだ元気で、『いくらの時計を買った』とか『収入がウン千万円あった』とか、昔の自慢話をよくしていました。でも奥様は常識人でね。いつも腰が低い人だった」(近隣住民)

そして妻は去った…

金遣いの荒さは「金ピカ先生」の異名どおりだった佐藤さんだが、人柄については見た目とは裏腹に穏やかで、人を怒鳴るようなことは一切なかったという。

そして、周囲の人が口をそろえるのは、「人一倍仲の良い夫婦だった」ということだ。

「先生は温泉が大好きで、羽振りの良かった時代はいつも夫婦で伊豆や箱根に出かけていた。そういう旅行も、外食するときも、先生は絶対に奥さんを連れていました。

奥さんはお嬢様育ちで、実家は相撲部屋の後援会会長をしていたほど。先生とは対照的に常に地味な服装で、とても出来た人でした。旦那さんを常に立てていて『うちの佐藤がすみません』というのが口癖でした。

先生はおカネの管理がまったくできない人なので、カネ回りの世話は奥さんがぜんぶやってあげていました。誰かとご飯を食べるときはいつも先生の奢りなので、奥さんの鞄には100万円の束が入っていた。

先生が、講師を辞めてあまりおカネがなくなってからも、奥さんが先生のもとを離れることはありませんでした。10年ほど前に先生が脳梗塞で倒れた直後も、奥様は献身的に世話をして、きっちり断酒を成功させていました」(前出・佐藤さんの友人)

仕事以外のことはまるで何もできない夫と、半歩後ろを歩きながら身の回りを甲斐甲斐しく世話する妻。

典型的な「昭和のおしどり夫婦」の関係に亀裂が走ったのは、実家に移ってから2年ほどが経ち、夫婦の生活が本格的に困窮してからのことだった。

相変わらず近所の飲食店に行くにもタクシーを利用するような佐藤さんの暮らしぶりに妻は呆れ果て、二人の間には喧嘩が絶えなくなった。

ついには「死ぬまで住み続けていい」という条件のもと、知人に自宅を売り払い、そのカネで高級外車を買おうとした佐藤さんに妻の怒りは限界に達した。’17年のある日、突然家を出ていってしまう。

そこから、佐藤さんは死に至る孤独な日々を過ごすことになる。

〈もう女房に未練ないし〉
〈(独りで生きる余生は)バラ色ですよ、ずっと〉

昨年の夏に『スポーツ報知』の取材を受けた際には、以前の威勢の良さがまだ残っていた。だが、それは精一杯の強がりだった。

プライドと見栄の塊だった佐藤さんは、実入りが減って人に奢ることができなくなってからは、次第に友人たちとも没交渉になっていったという。きっと、「みっともない姿は見せられない」と思っていたのだろう。

そんな佐藤さんにとって、妻はありのままの姿をさらけ出すことのできる、唯一の相手だった。

その「たった一人」を失った瞬間から、佐藤さんの本当の苦しみが始まった。
誰もいない部屋で、話し相手もなくタバコをくゆらせながらぼんやりと過ごす毎日。

「過去の人」になっても、カネがなくなっても、病気になっても、多くの人が離れていっても、それでもそばにいてくれた妻が、ついにいなくなってしまった。

〈自分の人生には、もうなにひとつとして残されていない〉

決して取り返すことのできない過ちに気づいたとき、佐藤さんが感じた絶望はいかばかりだっただろうか。

「全部オレが悪い」

気づけば、すっかり自暴自棄になり、心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで大量の酒をあおるようになった。

そして、昨年の秋には、デイケアサービスがないと生活できないところまで体調が悪化した。

デイケア施設の関係者が言う。

「地域包括支援センターの職員が様子を見に行った結果、『もう一人では生きられないから、サービスが入ったほうがいい』という判断になりました。

担当のヘルパーが佐藤さんの家に初めて足を踏み入れたとき、中は荒れ放題で、床のそこかしこに落ちたゴミが異様な臭いを放っていた。

できる限りのことはしようと思いましたが、当のご本人が生きる意欲をまったく持てなかった。当初はコンビニでサンドイッチなどを買っていましたが、次第に食べることすらやめてしまった」

電気もガスもつかない真っ暗な家のなかで、服をまとわぬ佐藤さんはじっと虚空を見つめ、微動だにしなかった。

このときの様子を「恐らく、完全な『自己放任』状態だったのではないか」と語るのは、遺品整理業「あんしんネット」の石見良教氏だ。

「『自己放任』は社会から孤立していた人が、死別や離婚で唯一の心の拠りどころだった人を失ったり、病気などの負の出来事に見舞われたりして、孤独に耐えられずに自暴自棄になってしまうことです。

とりわけ、佐藤さんのように子供のいない高齢男性はその傾向がより顕著になる。普通、人間は生ゴミの臭いに耐えられず片付けたくなるものですが、毎日ボーッと過ごしているうちに感覚が麻痺して、それが異常であることにすら気づかなくなってしまう」

すでにほとんど会話することさえままならなくなっていた佐藤さんだが、時折、妻への気持ちをこぼしていたという。

「よく言っていたのは『こうなったのも全部オレが悪いから仕方ないよな』と。もとから、奥さんの悪口を言うのは聞いたことがありませんでした。

自分が悪かったというのは重々わかっていたと思います。ごくたまに奥様が訪ねてくることがあったようで、そのときは嬉しそうに話していました」(前出・施設関係者)

男は弱い

羽振りが良かった時代を忘れられず放蕩を続け、すべてを頼り切っていた妻に愛想を尽かされる。

佐藤さんの辿った末路を、「自業自得」の一言で片付けるのは簡単だ。
しかし、どんな形にせよ、すべての夫婦に離別のときはやってくる。佐藤さんが襲われた絶望は、誰にとっても決して他人事ではない。

「連れ合いと離れた後、女性は『独りで生きなきゃ』と覚悟を決めて強くなる場合も多いのですが、男性の場合は、一気に弱ってしまう人が少なくありません。

近所付き合いや友人付き合いの多い女性にとって、夫は『たくさんある人間関係の一つ』に過ぎませんが、定年後に仕事関係のお付き合いがなくなった男性にとっては、奥さんとの関係は唯一無二のもの。

死別や離婚でそれが失われると、どうしていいかわからず、ただ呆然と立ち尽くしてしまうのです」(ケアマネージャーオフィス「ぽけっと」代表の上田浩美氏)

自分では何もできない男が独りになったときに襲われる、どうしようもない孤独。
人知れず最期を迎えた瞬間、佐藤さんがせめて絶望から解放されたことを願ってやまない。

「週刊現代」2019年10月12・19日合併号より

 


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雅子さまと黒田清子さん

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 世間的に言えば「嫁と小姑」。清子さんは生まれてからずっと皇室育ち、雅子さまはアメリカ育ちで、バリバリの元キャリアウーマン。ほとんど水と油。皇室の方々だって人間ですから、いろいろあったのかも  (^_^;)

 

11月22、23日と、天皇皇后両陛下は即位に関する一連の儀式を終えたことを伊勢神宮に奉告する「親謁の儀」に臨まれた。

この重要な皇室の行事で、両陛下とともに大役を務めたのが、天皇陛下の妹で伊勢神宮祭主の黒田清子さんだった。

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伊勢神宮を長年取材してきた文筆家の千種清美さんは、親謁の儀に臨んだ清子さんの様子についてこう語る。

「祭主さまは両陛下より早く伊勢にいらっしゃっていました。両陛下が神宮に到着された21日の夜は、両陛下がお泊まりになった内宮の行在所で大宮司、小宮司とともにお迎えになりました。内宮ご参拝後には、両陛下と食事をされたかもしれません」

前出の皇室担当記者は、21日の夜に注目する。

「ご一緒にひとときを過ごされた雅子さまと清子さんにとっては、いわば“和解の夜”になったのではないでしょうか。雅子さまが療養に入られる’03年12月以前から、関係者の間ではお二人の“不和”が囁かれていましたから」

皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんもこう話す。

「天皇家に入った“嫁”である雅子さまには、公務でご多忙だった美智子さまに代わり、“小姑”である清子さんが折に触れ、皇室のしきたりや所作などをアドバイスしていたそうです。つまり雅子さまにとって清子さんは恩人ともいえるのですが、あるときを境に円滑なコミュニケーションがなくなってしまったと聞きました」

陛下と雅子さまのご結婚直前だった’93年4月、清子さんは24歳の誕生日に際しての文書回答で、雅子さまについてこう記していた。

《まだゆっくりとお話をする機会はございませんが、自分をしっかりと持っていらっしゃり、ユーモアのある楽しい方のように拝見しております》

義理の姉がやってくることを楽しみにする気持ちが伝わってくる。

ところが雅子さまが療養に入られて以降2005年頃から、雅子さまと清子さんの不和を象徴するような“事件”が次々と報道された。

「山階鳥類研究所に勤務し、バードバンダー(鳥類標識調査員)の資格も持つ清子さんは、研究のために赤坂御用地でカワセミの調査をしていました。早朝からの調査なので、何度か天皇陛下と雅子さまが住む赤坂東宮御所(当時)に泊まらせてもらっていたそうですが、あるときから宿泊の許可が下りなくなったという話を耳にしたことがあります」(前出・渡邉さん)

『週刊文春』(’05年12月29日号)によると、その後、清子さんは秋篠宮邸への宿泊を希望し、「いつでもどうぞ」と歓迎してくれた紀子さまと接近していったという。

また、翌年の『週刊ポスト』(’06年3月3日号)にはこんな記事が載った。

事件が起こったのは両陛下のご結婚3年目の’96年だという。

美智子さまと清子さんが御所でお菓子作りをされたとき、紀子さまは「ご一緒に」と呼ばれたのだが、雅子さまにはお声がかからなかったというのだ。

「チーズケーキ作りがお得意の雅子さまをお呼びにならないのは、いかにも不自然という声も上がりました」(宮内庁関係者)

20年以上も前から、雅子さまと清子さんの間には“緊張関係”があったのかもしれない。

清子さんが伊勢神宮の祭主に就任したのは’17年のこと。“退位特例法”が国会で可決された直後のことだった。

「当時は、次の皇后となられる雅子さまがご公務、特に祭祀へのご出席が難しく、御代替わりへの不安が大きかったのです。伊勢神宮祭主となれば、少なくとも年間30日は伊勢に滞在する必要があり、夫の黒田さんにも負担を強いることになります。それでも清子さんが引き受けたのは、皇室の外から新天皇を支えてほしいという美智子さまの強い願いがあったからなのです」(皇室ジャーナリスト)

一方、今年5月に皇后となられた雅子さまは、5月8日の「期日奉告の儀」、10月22日の「即位礼正殿の儀」、11月14日からの「大嘗宮の儀」、そして、今回の「親謁の儀」と、陛下の即位に関連した大きな宮中行事すべてに出席されている。

「御代替わり後、雅子さまは素晴らしい活躍をされています。目を見張るほどのご回復ぶりといっても過言ではないでしょう。皇室への思いの強さは、雅子さまも清子さんも同じです。宮中祭祀にも真摯に取り組む雅子さまのお姿が、皇室の祭祀を担う清子さんの心を動かしたのでしょう。長年のわだかまりは氷解して、お二人の間に“新しい絆”が生まれたのではないでしょうか」(皇室担当記者)

 


壇蜜さん結婚!

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 壇密先生の保健体育の授業

  どんなこと教えてるんだろ?  (^_^;)

 

タレントの壇蜜(38)が、『東京都北区赤羽』『ウヒョッ!東京都北区赤羽』などで知られる漫画家・清野とおるさん(39)と結婚することが21日、スポーツ報知の取材で分かった。

「いい夫婦の日」の11月22日に婚姻届を提出した。

 

テレビ局関係者によると、2人は17年3月に放送されたTBS系『櫻井・有吉THE夜会』での共演をきっかけに交際をスタート。

 

壇蜜(だん・みつ)

本名・齋藤支靜加(さいとう・しずか)。

1980年12月3日、秋田県生まれ。38歳。

昭和女子大卒業後に銀座のクラブ、葬儀会社の研修勤務などを経て2009年デビュー。

10年に本名から改名。芸名の壇は仏壇、蜜は供え物を指す。

14歳から始めた日本舞踊は師範の資格を持つ。

レギュラーはNHKラジオ第2「高校講座 保健体育」、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ!」水曜パートナー、同「壇蜜の耳蜜」。

身長158センチ。血液型O。

 


金田寛教授 逮捕 ストーカー

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 68歳でも スゴイ情熱

  元気だなぁ~  (^_^;)

 

風俗店に勤める20代女性の自宅前で待ち伏せし付きまとうなどしたとして、警視庁町田署は29日までに、ストーカー規制法違反容疑で九州工業大特任教授の金田寛容疑者(68)=北九州市戸畑区仙水町=を逮捕した。

金田寛教授は「姿を見るつもりだった」と容疑を認めている。

同署によると、金田寛教授は昨年6月に客として女性と知り合った。

金田寛教授は、愛人関係を迫ったため今年2月に店から出入りを禁止されたが、それ以降数十回にわたり、女性に「会いたい」などとメールを送り続けたという。

女性は今月27日、金田寛教授に車で付きまとわれて交番に駆け込み、町田署員が金田寛教授に職務質問し、付きまといを認めたため逮捕した。

 


年を取ったなぁ

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“自分、年を取ったなぁ……”と思うこと、ありませんか?

若い頃には考えもしなかった心や体の変化に直面し、ちょっとブルーになることってありますよね。

でも大丈夫! 年を取るのはみんな平等。

世の中に加齢から無縁な人はいません!

TOKYO FMの生放送番組「高橋みなみの『これから、何する?』」10月23日(水)の生放送では、パーソナリティをつとめるたかみなが「“自分、年を取ったな……”と思うエピソード」に寄せられたメッセージについて答えてくれました。

詳細はここをクリック

 


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訃報 吾妻ひでお

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 美少女マンガ教の教祖にして

  うつ病や統合失調症など

 精神疾患のデパートみたいな人でした

  中島らもとか 天才アル中芸術家は

 みんな早死にしてしまう  (T_T)

 

「失踪日記」で知られる漫画家の吾妻ひでお(あづま・ひでお、本名日出夫=ひでお)さんが13日未明、東京都内の病院で死去した。

69歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

食道がんで闘病していた。

1969年にデビュー。

テレビアニメ化もされた人気作「ななこSOS」のほか、「ふたりと5人」などのギャグ漫画を多く手掛けた。

一方で、2度も失跡したり、アルコール依存症で入院したりするなど型破りに生き、漫画執筆が何度も危ぶまれた。

心身が回復する過程で壮絶な実体験を漫画に描き、2005年「失踪日記」として出版。

同年の日本漫画家協会賞大賞に選ばれた。

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金ピカ先生

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まずは、先日亡くなった「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)のご冥福を心からお祈りしたい。

我々は8月末日、「かつて一斉を風靡した人びとに、近況を尋ねに行く」という趣旨の取材で佐藤さんのもとを訪れていた。

佐藤さんは快く応じてくれたが、かつてから変わり果てた生き様には、「人生とはいったいなんだろうか」と、深く考えさせられるものがあった。

追悼の思いを込めて、その日のことを振り返る。

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詳細はここをクリック

 


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日本オタク

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 なぜかフランス人には 異常なほどの日本好きがいて

  以前、高野山に行ったら フランス人だらけで

 ビックリしたことがあります  (^_^;)

 

9月26日に86歳で死去したフランスの第22代大統領、
ジャック・シラク氏の国葬が同月30日、パリの教会で行われ、
同時代を担ったクリントン元米大統領やプーチン大統領など、
世界各国の首脳級が参列しました。

シラク元大統領は大の親日家・知日家として知られ、
公私を含めた来日回数は50回近くに上るとされています。
特に大きな関心を寄せていたのは大相撲で、
本場所中は中入り後の全ての力士の成績を東京の外交官に報告させ、
衛星通信が発達すると、エリゼ宮で取り組みを観戦していました
(飼い犬の名前は「スモウ」。お気に入りの力士は貴乃花。夫人は曙)。

また、縄文土器にも造詣が深く、パリで開催された展覧会を訪れた際には、
縄文土器が作られた時代(前期・中期など)も言い当てたそうです。

シラク元大統領の親日エピソードは挙げるとキリがありませんが、
その親日ぶりは母国フランスでも有名で、
AFP通信やパリジャンなど多くのフランスメディアが、
追悼記事で大の親日家であったことに触れています。

 


経済産業ダンス大臣

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まずは写真をご覧いただきたい。

右の男性は多くの方がご存知だろう。

ダンサーにしてTRFのメンバーでもあるSAM(57)だ。

安室奈美恵(42)と結婚していたことでも知られる。

一方、左の男性をお分かりの方は、どれくらい、いるだろうか――?

この写真が掲載されたのは週刊新潮の2015年11月12日号。

「あのセンセイのこんな趣味 第2弾」というグラビア特集に掲載された。

タイトル通り、国会議員5人の珍しい趣味を紹介している。

趣味がダンス、という左の男性は、菅原一秀・衆議院議員(57)だ。

自民党代議士で、9月11日に発足した第4次安倍再改造内閣で経済産業大臣として初入閣を果たした。

 


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訃報 安部譲二氏 82歳

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 麻布中学では橋本元首相のご学友

  非常に才能に恵まれた人物が

 非常に特異な人生を歩みました  (T_T)

 

刑務所での収監体験をユーモラスに描いた自伝的小説「塀の中の懲りない面々」などで知られる作家の安部譲二(あべ・じょうじ、本名安部直也〈あべ・なおや〉)さんが2日、急性肺炎で死去した。

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82歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻美智子さん。

東京都出身。

国民学校(現在の小学校)低学年にして、シェイクスピア全集や漱石全集、世界文学全集、プルターク英雄伝、名将言行録などを片っ端から読破。

東京都港区立麻布小学校では神童と呼ばれた。

中学時代に暴力団に加わり、その後は客室乗務員、ばくち打ち、用心棒、キックボクシングの解説者などを経験した。

東京・府中刑務所での実体験をもとに描いた1986年のデビュー作「塀の中の懲りない面々」がベストセラーになり、映画化もされた。

「塀の中のプレイ・ボール」「極道渡世の素敵な面々」など極道をテーマにした軽妙な作品を次々に発表して人気を博した。

 


台風サーファー(62)溺死

The Beach Boys- Surfer Girl (1964)

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 亡くなったのは残念だけど

  62歳で 台風中にサーフィン!

 若っいなぁ~ (^_^;)

 

9月8日正午ごろ、神奈川県平塚市高浜台の沖合約100メートルで、サーフィンに来ていた中津川和宏さん(62)=住所、職業不詳=が浮いているのを、近くの海岸にいた男性が見つけた。

中津川さんは救助されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。

気象庁によると、同市には当時、台風15号の影響で波浪警報が出ていた。

神奈川県警平塚署によると、中津川さんは同日午前から友人とサーフィンに訪れていた。

発見時、海岸にサーフボードが打ち上げられていた。

同署は溺れたとみて詳しい状況を調べている。

 


メラニアはトゥルドーが大好き

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 安倍ちゃんと昭恵夫人の仲も

  かなり冷え込んでるそうなので

 何が起きるか見守ろう  (^_^;)

 

恒例の首脳宣言採択が見送られるなど冷めた空気が漂ったフランスのビアリッツでのG7サミット(主要7カ国首脳会議)。

だが、中には熱々の話題もあった。

メラニア・トランプ米大統領夫人と、カナダのジャスティン・トゥルドー首相の親密な姿だ(左)。

サミット終了後の記念撮影の際、頬を寄せ合い、今にもキスしそうな2人の写真は#MelaniaLovesTrudeau(メラニアはトゥルドーが大好き)のハッシュタグと共に、瞬く間にツイッターで広がった。

大統領就任当初から、トランプ夫妻の仲は冷え切っているとの噂が絶えない。

父親ほど年が離れたトランプ(73)と違い、トゥルドー(47)メラニア(49)と同世代。

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しかも俳優並みのイケメン。

メラニアが手をつないだ夫の背後で、夫の前では見せないような表情をしているのも、人々の昼メロ的妄想をかきたてた。

「私をここから連れ出して」

というメラニアの声が聞こえてきそう……。

「あらら」という表情のブリジット・マクロン仏大統領夫人(右端)も素敵な脇役だ。

 


キーエンスの社員だった

WS000茨城県内の高速道路上で煽り運転を繰り返した末に、男性ドライバーを殴りつけた宮崎文夫容疑者(43)。

警察は宮崎容疑者を全国に指名手配し、8月18日午前に大阪市内で逮捕した。

「名前を見て彼だと分かった時、ああ、やりそうだな、と思いました」

こう話すのは、宮崎容疑者と同期入社した男性だ。

関西の有名私大を卒業した後に、宮崎容疑者が入社したのは、精密機器を製造販売する東証1部上場の超優良企業キーエンスだった。

同社は世界約50カ国に進出し、海外売り上げ比率が5割を超える。

社員の待遇が良いことでも知られ、上場企業の平均年収ランキングでは常に上位。

2019年3月期の平均年収は実に2110万円(平均年齢35.8歳)。

「今思えば彼が入社できたのは不思議ですが、キーエンスにはコネ入社は無いと言われます。筆記試験はありませんでしたが、適性試験があり、面接も3回か4回行いました」(同期入社の男性)

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  その後うまく辞めてくれたらしいけど

   彼を合格させたキーエンス面接担当者の

 「人を見る目の無さ」がスゴイ!  (^_^;)

 

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NHKから国民を守る党

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 素晴らしい逸材ぞろいですね

  厳しい審査を通った方々

 なんでしょうね  (^_^;)